2020/04/07

緊急事態宣言

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 記者会見を聞いていても、気が滅入るし、これから展開される報道について考えるだけでも、気が滅入る。

 記者会見は特段新しい話があるわけではない。結局、いま、私たちはどこにいるのか、それが根拠をもって明らかにされるわけではない。1万人、8万人の感染が予想されるとかいっても、その根拠となるのは、あの、グラフなのか??? そして、その感染をひろげないための対策というものが、ほんとうに効果があるのか、実効性があるのかなどの根拠もあいまい。

 人の移動を8割にというが、そもそも、GOEGLEの調査でも日本の場合は、大きいのは「仕事」ではないか。安心して、「仕事」に行かない、在胎ワークができる環境づくりには言及は結局ない。

 給付など、大胆な経済対策を打ったという。所得補償はきわめて限定されているし、これまでと比較して、給付が用意されているようだけど、1度きりの給付で、生活が支えられ、「仕事」に行かないですむのか。その予算規模からみて、必要な人にゆきわたるのか。むしろ、最後に書かれている、経済対策が目立つ。ああ、やっらり経済優先かと。ほんとうに、大胆に、みんなの生活を守る政策と取り組みが必要だ。かつての派遣村のような取り組みも含め。そういう呼びかけが、政治から発信されないといけないのだけどなあ。

2020/04/05

パンデミックが世界を変える?

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「緊急対談 パンデミックが変える世界〜歴史から何を学ぶか〜」

パンデミックとなった新型肺炎。人類はいま大きなチャレンジを突きつけられている。これから社会はどう変わるのか。ウイルス学、感染症史、日本史、世界史など各人が独自の考えとフィールドを持つ識者たちが集い、人類の今と明日についての思索を披露しつつ徹底的に対話する緊急特番。【出演】ヤマザキマリ、磯田道史、山本太郎、河岡義裕

 

 昨日のETV。たしかにこのコロナとのたたかいは、世界史的な事件でもある。そういう視点から、大きな議論は必要。だけど、このタイミングでの議論はなかなか難しいところ。

 パンデミックは世界を変えるのだろうか。たしかに、できることなら、世界が変わる契機になればいいとは思う。

 だけど、なかなか、そういう議論をするときに、文明論的なものに終始して、現実の政治のぶつかり合いが隠されてしまう。

 現実の政治のぶつかり合いは生々しい。所得補償が象徴的であるわけで…。

 この面でも大きな変化が生まれるのか? いろいろ考えるできことがあるのだけど。

非常事態宣言???

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 先週国内で漂い始めた「日本はもう大丈夫なのでは」という期待をよそに、いま感染者は拡大を続けている。東京都の小池知事は「感染爆発の重大局面」と危機感をあらわにし、週末の不要不急の外出自粛を呼びかけた。ウイルスとの戦いは“長期戦”へと突入した。
 大都市部では経路不明の感染が急増、オーバーシュートを食い止められるかどうかギリギリの局面を迎えている。ひとたび感染爆発が起これば病院に感染者が殺到し、病院のキャパシティを超える「医療崩壊」が起こりかねない。各医療機関は感染者の急増に対応するための役割分担の明確化を急ピッチで進めている。
 一方政府はこれまで継続してきた学校の一斉休校の解除を決定。各自治体や学校では学校再開に向けた準備が進んでいる。しかし感染者が出た場合の対応についてはそれぞれの学校の判断に任されており、不安や戸惑いが広がっている。番組では、テレビ会議システムを活用し、課題に直面する現場のキーマンが中継で出演。どんなことに困っているか、どんな課題を抱えているかを具体的に聞きながら、スタジオの専門家ゲストと共に、正しい知見にもとづいた対処法を考えていく。

 緊張感あふれる番組。医療体制の強化への措置や、所得補償への財政出動の問題など、それなりに踏み込んでいた。

 

 でも、なぜ、対策というか、必要な措置が、トータルにすすまないのか?それなのに、非常事態宣言だけが、とりざたされていく。

 だけど、いったい、いまどんな事態で、どのような対策が必要になるのかという基本的なデータが、いつまでたっても示され共有されていかないのだ。アメリカからは、日本の感染調査は信用できないと言われるしまつだ。政策のエビデンスということを政府は、これまで、いろいろ口やましく言ってきたのに、何も示されないのが実際だ。

 なぜ、データが示されないのか。もっと言えば、なぜ、きちんとした調査がなされないのか? そのことが議論されないのか?

 日本は、医療や社会保障(や教育)に対して、これまでも、まず必要性を割り出して、そこから、政策をたて、財源を確保するという考え方をとってこなかった。むしろ、財政の振り分けを先におこない、聖域には財源を投入し、その財政の現状から医療や社会保障を考えてきた。いまも、その枠の中にあるのだろうか。

 結局、政策に、その政策を遂行する政治に対して、信頼がよせられないのだ。政策の正統性が確保されないし、政治と国民の信頼関係が構築されない。ただ、なんとなく、あきらめなり、追随なりだけが広がる…。そういう意味では、根が深い状況がいまあるのではないか。

 

 

2020/03/31

市民の生活は、ほんとうに傷ついてしまわないのか

 さまざまな発言が続く。だけど……。

小池都知事が緊急会見、改めて夜間外出自粛呼びかけ(TBSニュース)

 東京都の小池知事が緊急の記者会見を行い、バーやナイトクラブなどで新型コロナウイルスへの感染が疑われる事例が相次いでいるとして改めて、夜間の外出自粛を呼びかけました。

 「今がまさに感染拡大を抑えられるかどうか、その重大な局面です」(小池百合子東京都知事)

 小池知事は、夜間から早朝にかけて営業する飲食店などで感染したことが疑われる事例が多発しているとして、若者についてはカラオケやライブハウス、中高年についてはバーやナイトクラブなどに行くことを控えるよう呼びかけました。

 また、現在都は感染拡大に備え500床の入院医療体制を確保したとしていて、最終的には4000床の確保を目標にしています。医療体制がひっ迫した場合、軽症の人などは、自宅や宿泊施設での療養をお願いする場合もあるということです。

 東京都は、30日も13人の感染が確認され、感染者は全国最多の444人となっています。

 だけど、もう一つ信頼がおけないし、議論がまとまっていかない。なぜだろうか。

 ほんとうに、専門家も含めて、認識があるていど一致して、そのことを説明するという感じではなく、いかにもつまみ食い的な感じがする。

 そもそも、この新型ウイルスの危険性がどういうものか? そのことについても共通認識があるように思えない。致死率についてもいろいろ議論があるが、常識的に考えて、感染が広がる段階では、どんどん感染者が増えるから、単純に分母を感染者にした計算では、致死率は小さくなる。ほんとうの致死率はもっと高い。おそらく、最終的には、10%を超えるのだと思う。つまり、このウイルスは、命にかかわる深刻なものなのだという認識が共有されるできではないかということ。そこの説明がどうか。このことは、結局、個人補償に踏み込まないことと裏腹のような気がするなあ。昨日の記者会見でも、バーやクラブへの「入店を自粛」という言い方。「営業を自粛」ではない、だから補償はしないということか、あまりにも政治の責任回避の言い方に、悲しくなる。

 では、どういう対策をしたいのか? 病床を4000目指すと言っているが、ほんとうにそれで大丈夫という根拠がしめされない。東京都の人口は1300万。集団免疫が7割でという仮定をしても、900万人の感染が必要。うち8割が病状を伴わないとして、180万人が病状がでる。この集団免疫を一定の期間をかけてと考えると、1年として、入院が2週間として、それだけでも7万以上の病床が必要になる。重症者だけの入院としてもとても、4000ではということになる。では、感染をいっそう抑え込むという対応をしようとしているのか。そしてワクチンの開発をまつと。となれば、1年以上の長期戦になる。となると、経済活動のあり方、市民生活のあり方、子どもの教育のあり方、福祉などのあり方などなどもふくめて、より新しい対応が必要となる。そういう、方向性がどうしても見えてこないのだ。そのあいだに、市民の生活は、ほんとうに傷ついてしまわないのか?

 つらつらと、記者会見以降の動きで考える。

 

2020/03/26

オーバーシュート? 非常事態宣言?

 一気に、東京の状況が変わってきた。昨日の41人は衝撃をあたえている。これまで、検査していなかったらじゃないのかとか、いろいろな批判はその通りだと思うけど、かなり爆発的な勢いで、感染が広がっていることは、否定ができない状況なのだと思う。もはや、そのことを前提に考えるべきなのだろうなあ。とりわけ感染症病床の確保はかなり緊急で深刻な問題。

 先週のNHKスペシャル「“パンデミック”との闘い~感染拡大は封じ込められるか~」などを見ていても、なかなか頭がいたい。封じ込めの困難さはわかるが、政府の専門家会議の委員の言うような、発生を管理するいわゆる「ピークカット」などは、全く矛盾に満ちた、机上のやり方で、結局は、切り捨てにつながりかねない現状がある。少なくとも、国の政策が、一人ひとりの命や生活を大事にするという視点になっているとは思えないのだ。

 しかし、一気に、オーバーシュートに近づいた感じで、東京をはじめ、首都圏で、外出を自粛するようにと言う要請が出されている。今日は、スーパーでレジ1時間待ちとか、パニックが広がりつつある。いよいよ、「非常事態宣言」ということもささやかれる。そもそも、いまの自粛は、法律にもとづいたものではない。そんなことが許されるのかという法律家の批判もある。だけど、「非常事態宣言」には、根強い批判もある。結局、特措法そのものが、とても建て付けが悪い法律で、国の責任を十分に問うものになっていないからだろう。「責務」ということがくり返しのべられているが、限定された対策の方向のみで、そこからは国による「人権」の制限がめだってしまう。そもそも、いま国の責任とは何かは、実は、その全体像はどこでも語られていないのだ。そこから、こうした矛盾した状況になっている。ならばやっぱり、国の責任を明らかにする、いま政治が何をなすべきか、明らかにするということが求められているのだろう。

 いずれにしろ、命と生活を守る政治、弱い者が困らない政治がいまほど問われているときはないということを心したいと思う。

2020/03/25

サンマデモクラシー

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 昨日の夜、ボーっとテレビを見ていたら、BS朝日のこの番組をやっていて、そのまま引き込まれた。米軍統治下の沖縄で、「サンマへの課税はおかしい!」と訴えたサンマ裁判の話。魚屋の女たちが、キャラウェイ相手にたたかいを挑む。それが、最高権力者・高等弁務官の命令で米側の裁判所に移される「裁判移送事件」になっていく。この裁判に注目したのが、カメジロー。フミさんたち女性のたたかいも紹介される。このたたかいが、祖国復帰の沖縄のたたかいにむびついて、あの67年のたたかいの山場になっていく。すごく、感動的。

 米軍統治下で、沖縄の人々は、どんな思いでいたのか。「マキテーナイビランドー」、翁長さんも使ったこの言葉に込められた思いを考えさせられた番組だった。

2020/03/19

文春「赤木手記」の悲しみと衝撃

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 これほど、衝撃をもって読む記事も少ない。それほど、大きな衝撃。ガラガラとこの国の統治のシステムが崩れていく……。赤木さんの、苦しみや後悔、恐怖などが切々と綴られている。ただただ、政権や財務・高級官僚への怒りがわきあがってくる。相澤さんの執念や、昌子さんの悲しみも伝わってくる。

 だけど、安倍さんは「自分の潔白は明らかになっている」とつっぱねるのだろうなあ。政権も、財務省も、検察も、それでも、調査で明らかにしているとしてしまうのだろうなあ。それほど、この国は、真実を無視し、虚構と隠蔽のうえになりたっている。それでいいのか、ほんとうに、この国は、正念場にたたされているとそう思う。

〈ヨコへの発達〉とは何か?: 障害の重い子どもの発達保障

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 びわこ学園に行ったときのことを思い出しながら、読む。やまゆり園の事件の判決があっただけに、重い障害のある人のことをどう考えるか、いろいろ考えながら読んだ。

 では、ヨコへの発達とは何か。糸賀や岡崎、田中たちが、重い障害と向き合いながら、その認識をどう深めていったのかということがテーマ。ボクは、あらためて「共感的発達」や「関係性」ということに目を引かれた。発達というものの理論的展開のなかで、「共感」や「関係性」がどのような飛躍をつくりだしているのか、いろいろ知りたいと思った次第。

 糸賀と、「優性思想」の問題は、近江学園でのいわゆる「手術」問題もあり、いろいろ言われている。おそらく、大事なのは、糸賀自身の葛藤と認識の深まりということなのだと思う。糸賀は人生を通して変化していった。ならば、糸賀の変化と、そしてどこまで到達したのか、限界や、未来にどう開かれていて、それがいま、私たちがどこまで来ているのか、そういうなかで位置づけたいとも思ったり。ヨコへの発達観自身が、今後どのように変わっていくべきなのか、いろいろな課題についても考えさせられたりする。

 

2020/03/11

官僚制の崩壊?

 9年目の3・11.いろいろ考える日。思いは、とりあえず3月号でぶつけた。

 

 さて、コロナ騒動。いま、安倍政権がいろいろ言われている。いちばん、目の当たりにしているのが官僚制の崩壊のような現象。

 官邸が高級官僚の人事を支配するようになって大きく変わったと言われる。官邸との交流人事でふるいにかけられ、忠実なものでしか、高級官僚になれなくなったと言われる。結果、トップクラスが排除されているとも。従順な官僚は、ここぞで力を発揮できない。

 コロナがおこったとき、政治は水際作戦をとる。しかし、その後、それを修正し、大きな転換が図られた。新型インフルの際の議論もあったし、すでに感染者が出た自治体の議論もあるわけだから、官僚が役割を果たして、転換がおこなわれたのだと思う。休校をめぐる問題も、一方的な、バタバタという面が強いが、それでも、うまく手が打たれている面もある。だけど、もう10日以上が立つ。長期化も予想される。ならば、この局面では、子どもの学ぶ権利をどう保障していくのかということが、かなり具体的に議論されていいはずなのに、それが聞こえてこない。一部の教師たち、市民たちのとりくみがあるだけ。肝心なところで、官僚は何をしているのだろうか。

 コロナで、政権は生きのびたとされる。だけど、その足元の崩壊がはじまっているという感じなんだろうけれど。もちろん、それに対し、効果的な議論をわれわれがどれだけできているのかということも問われていることは自覚しないといけないのだけどなあ。 

2020/03/07

青山散策 (週の半ば)

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 言わずと知れたジョン・ウェスレ―像。今週なかば、青学に行く用事があり、そして、その後、青山を少し歩いた。昔、20代、30代のころまでは、たまには来ていたのだろうけど、最近は、ほとんど来ない。まず、青山ブックセンターに。ここには、政治のコーナーがない。社会的な問題に関心が薄いかと言えば、ジェンダー平等など人権の問題には強い関心がある。その人権にみごとに、新自由主義がかぶってくるそういう印象。だから、接近は狭い。いかにも、いかにも。

 青山はそれなりの人盛り。だけどなあ、全然、世界が違う感じがするなあ。着ているもの、着ているものへの意識が全然違うのだ。そもそも、生活が違うから、意識も違う。そんな世界の差を感じてしまい、居心地が悪いなあ。街はあいかわらず、おしゃれだけど。やっかみもあるけど、この差はとってもやっかいな問題だなあとも思ってしまうのだ。

無敗の男 中村喜四郎 全告白

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 面白かった。この世界で仕事をしていると、保守の政治家と話すことは多い。そのときも感じることだけど、喜四郎もやはり伝統的な保守の政治家だと思う。政治や政策の選択の幅が大きい。それは右にもそうだけど、左にもそうである。だからわれわれと一致点も少なくない。しかも、有権者との結びつきはとてつもなく強い。支持者・世論の動向に敏感だ。これだけ、困難を抱えて生きる層が拡大しているなかでは、いっそう一致点は広がる。なぜ敏感か。喜四郎のような政治家の活動の根底にはどぶ板がある。災害のときの活動は、共産党の活動とすこぶる似ている。この点もおもしろい。コービンや、サンダースの活動とも共通するのだろう。一定程度、戦後民主主義の発展は、こういう有権者との結びつきのありようによって支えられていたのかもと思う。ただ、小選挙区から安倍内閣への過程で、そのありようは大きく棄損するわけだけど。ただ、選択肢の広さは、ともすれば脱法、違法な腐敗にもつながる。さらに、政局への敏感さ、たたかいのなかで生きているということも大事なんだろうと思う。そこなかで自分のありようと位置づけるわけだから、敵を明確化する。それが安倍内閣であるというのが今なのだと思う。だからますます一致する。

 哲学も、手法もまったくわれわれとは違う。だけど、いまは一致するところはとてつもなく大きい。その違いは、今後大きなことかもしれない。そのことも含めて、一致点で共同する。そういうしっかりした見方が必要なのだと思う。しかし、とてももなく面白く、怖い政治家である。ぜひ、会ってみたいと思った。

2020/03/03

コロナ 一斉休校を前に ちょっと考えたこと

 いろいろニュースなどを見ていても、今回の事態は、社会全体の国民・市民の生活を支える政策の脆弱さを露呈しているという感じがしている。教育の分野でも、子ども・若者政策の脆弱さが、休校をめぐって浮上しているのではないか。学童保育は、低予算で、かなり条件の悪い中、必死で放課後を支えてきたけれど、とうていこうした事態に、子どもを支える条件はない。ボクらが学童の運営をやっていたとき、インフルエンザの学級閉鎖のとき、朝から子どもたちをあずかっていたけど、今度の事態で果たして学童をあける決断ができるのかは考えさせられる。

 学校が最後のセフティーネットとかいう人がいるけれど、こういう役割をはたせないように、学校は傷つけられ、歪められ、いまにいたっているのが現実ではないか。

 それは、学校に限らず、いたるところに同じ問題がある。非正規や、雇用によらない雇用などのもとで…。

 だから、そういう現実をふまえて、今子どもたちのために何が必要なのか、何ができるのかを考える必要があるように思う。たくさんの人の共同が必要なように思う。

2020/03/01

日米安保体制史

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  今年は改定安保60年。あらためて、その60年を考えてみたく、読み直してみた。アメリカの日本をいかに軍事的に位置付けてきたのか。その圧倒的従属関係のもとで、軍事同盟はどう変容し、強化されてきたのか。それが日本政治の内的な政治的な意思として形成されてきたのか。きちんと、ノートを取りたいなあ。少し、整理はしてみたい。

休校 狂騒曲

 うーん。一斉休校のドタバタ。政治の役割はよく考えなければならないし、それ自体は確かに論点。

 たしかに首相のやり方は論外で、責められるべきものだ。

 しかし、それは置いておいても、新型コロナの正体も、その対策も、いまだわからないことが多い中で、休校の措置は、もしかしたら一つの選択肢なのかもしれない。

 休校の要請に、さまざまな自主的な判断をする、地方自治体、教育委員会が生まれた。それは大事なこと。ただ、冷静によく考えると、その判断は、多少の違いはあって、大きくは、文科省の通知と違いはない。それは当たり前で、すでに、感染者を生まれていた自治体が検討していたことがベースにあるということ。

 つまり。正面から対決しなければならないことは、別にあるということ。子どもたちが、悩んだり、心配したりしていることは、多様で、多面的であるだろう。病気への不安、親の感染への不安、友だちや学校のこと…。自分の居場所の問題だってある。そのことにていねいに向き合いたいし、向き合ってほしい。

 あらゆる関係者の生活の保障、子どもたちの生活。子どもが安心していられる居場所。学童に教員なんて論外だな。学童をこんなに貧困な状態においておいて学童におしつけるの? 考えなければならないことをしっかり考えたいと思うけど。

若者たちと

 1月に、若者たちとフィールドワーク。そして、2月にそのまとめを聞く。今年で4年目になるが、正直言うと、今年は反応がなかった。どのように受けとめたのかよくわからなかった。まとめを聞いて、そのまとめは心を十分にうつものだった。内容も、ボクの説明を真正面からうけとめていて、内容もよくできたものだった。

 若者は、偏見が実は少なく真っ直ぐだ。それは同時に、素直すぎるともいえる。学んだことを血肉化するのには、葛藤が必要だ。それがない。いろいろな迷いや、違った意見との衝突を通して、血肉化する。若者たちが、その過程をどう経験することができるのか。そんなことも含め、いろいろいろ考えたいと思った。

2020/02/23

ファーストラヴ

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 公認心理師の主人公・由紀(真木よう子)は、出版社から話題の「女子大生の父親刺殺事件」のルポの執筆依頼を受ける。容疑者・環菜(上白石萌歌)が取り調べで「動機は見つけてください」と警察に言ったことで、波紋を呼んだ事件だ。
 環菜の国選弁護人で、由紀の義弟でもある迦葉(平岡祐太)からも協力を請われて、由紀は環菜と面会し、カウンセリングのような形で、環菜の家族に何があったのかを突き止めようとする。しかし、環菜は正直に話しているかと思えば、嘘を言い、時には感情を露わにして、由紀を翻弄する。環菜の心に触れることは、由紀自身の辛い過去と向き合う作業でもあった。
 真相を探る中、明らかになる環菜と殺された父親、さらには母親・昭菜(黒木瞳)とのゆがんだ親子関係。隠され続けた家族の秘密。そして、環菜はついに「初恋」について語り始める。果たして環菜は、本当に父親を殺したのか。由紀がたどり着いた真実とは―。

 この手のドラマは、たぶんに心理主義的。人間関係が親子関係に矮小化されていく。社会的な人間の造形がなくうすっぺらい。

 だけど、ある面では、自分を見ているようでつらかった。つらかった。

車中の人々 駐車場の片隅で

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 私たちに身近な「道の駅」。実は夜になると様相が一変する。片隅に目立つのは目張りをした数々の車。長期にわたり駐車場を転々とする「車中生活者」の車だ。レジャー目的とは違い「年金だけでは家賃が払えない」「DVから逃れるため」など、それぞれに深刻な事情を抱えていた。小さな車に家財道具を満載し、狭い車内で身体を丸めて眠りにつく。
 公式な統計はなく、NHKが全国の道の駅などを独自に徹底調査。すると、車中生活の末、体を壊し、命を落とす事例も出てきていることがわかった。ある道の駅の従業員は「もはや車中生活者の死を珍しいと思わなくなった」と明かす。
一方で車中生活者=貧困と、ひとくくりにできない一面も浮かび上がってきた。ふとしたきっかけで社会や家族から逃避し「車という逃げ場」に駆け込み、安住する人々がいた。
 社会から離れ彷徨い続ける車中生活者。その存在は社会の何を反映しているのか?徹底した現場ルポで迫る。
【語り】玉山鉄二

 

 どう受けとめればいいのか。問題は、ホームレスではあるが、同時に、ひきこもりの様相もある。問題の所在は多様であり、根底に貧困がありつつ、複雑である。しっかり向き合って、社会のありようを、考えなければいけない問題。

2020/02/11

「建国記念の日」に反対する2・11集会

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 朝、起きて、9日ぶりの掃除。キッチンとリビング、それから風呂やトイレ。作業部屋の整理や新聞の整理。それから、2・11集会へ。結局、日本橋公会堂に行ったけど、松戸で、趙景達さんの講演もあったので、最後までどちらに行こうか迷った。

 日本橋のメーンの講演は、加藤圭木さん。彼の話の筋はきっぱりしている。日本の植民地支配の不法と犯罪性をしっかりみすえる。もう一人は、千坂純さんが、安保のもとで、日米同盟と日本の軍事化がいまどうなっているのか、自衛隊のいまの状況もふくめてのお話。いろいろ企画の話を仕入れる。まずまずの成果。

 ただ、参加者がめっきり少ないなあ。高齢化がさらにということだろうか。だけど、その状況は、今後のうちの雑誌の状況をしめしているのだろうか。その打開の方向はまだ見えてこないなあ。ただ、わかりやすさ、たんなる「言葉」だけでは、打開できないとはまだ思っている。

 なかなか、気持ちが安定しない。どうすればしっかり日常をおくれるかなあ。

2020/02/10

しばしの…… 北の地へ

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 ちょっと、危ない感じだったので、先週の後半は、東京から脱出した。正月三が日からはじめてのオフ。ほんとうに働きづめだったので……。とりあえず冬の釧路湿原の散策。タンチョウヅルやオオワシと出会ったり。癒しの空間である。

 翌日は一転して、囚人労働ツアー。釧路には、集治監というところがあって、ここに囚人たちが集められ、強制労働がおこなわれていた。硫黄山があり、そこでの採掘も囚人がおこなっていた。安田財閥の安田善次郎がつくった硫黄運び出しの鉄道もそうだし、この地域の道路などもそうだ。安田善次郎といえば、富山である。うちの相方の育った家のあった場所の近くには安田公園があり、安田の生家があった場所。そんなつながりも発見。さらに言えば、集治監はその後、網走監獄に吸収されるのだけれど、そのあとには軍馬の育成所となり、戦後は、そこに、満洲から戻った開拓団の人たちが、移植することなる。極寒の地での開拓は、ほとんど成功はしないのだろう。ほとんど、跡形もないようなのだけれども。いずれにしろ、北海道には、朝鮮人などの強制労働の裏側に、こういう歴史がある。

2020/02/06

プロフェッショナル 仕事の流儀「虐待・貧困支援 高橋亜美」

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 高橋さんのお話しは、何度か聞いたことがある。相方が、パネラーとして同席したこともあるし、学生さんたちをつれてお世話になったこともある。ボクも本も読んでいる。しかし、知らないことも多かった。「寄り添う」ということがテーマ。児童虐待をうけ、大人になってなお、かつて受けた虐待の傷に苦しむ人を支援する。養護施設を出る18歳を超えると、社会的支援の仕組みがない。そうしたなかで、つくられてきた自立援助ホームであり、長期わたった支援をすすめるためにつくられたのがアフターケア事業である。彼女が受ける相談の内容は重い。

 支援のあり方も大きなテーマ。彼女の支援は、ある意味で踏み込む。ただし、押し付けではなく。それは、彼女自身の体験ということからもきているのだろうと思う。子どもの頃に受けた傷や、友人の「死」。ここは、自分の問題としてもいろいろ考えさせられる。その自分語りは、いろいろ迫ってくるなあ。

 若者の生きる世界が変容しているなかで、支援のあり方も考えさせられる。それも、少し、考えた。

 まだまだ、知らなければいけないことも多いなあ。

«子どもの貧困対策法・大綱の見直しを受けて-市区町村の子どもの貧困調査を考える

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